45から何ができる

45から何ができるか

人は変わらないけど自分は変えられる(2月前半の出来事)

1月に補助金の給付が決まり

そこそこのお金が入金されました

 

コンビニや深夜のレジ、早朝レジ等でちょこちょことは働いていたものの

収入ががっつり減っていたので

 

この給付金によって

正直心に余裕も生まれたし

何より従姉妹の勧めもあったので

 

とりあえずがっつりあった

遅延税金の元金

をとにかくできる限りの返済!

(長年の心のつかえが少し晴れた)

 

調子にのって諦めかけていた

雇用保険の請求もがんばりました

(複数の派遣会社とハローワークに問い合わせ)

本当にしんどかったのでこれは また別で

シェアできたらなと思います

 

貰えるものがあればとことん貰いつつ

とにかく今住んでいるボロボロの癖に

5万も家賃とられるこのアパート(レオ○)

から一刻も早くでたい

 

在宅になって、壁にキーボードの音を

カタカタ振動させる隣室のリーマンからも

UVER○○○の人の休憩所に

なってる階下の家からの騒音からも

 

隣接してないけど同じ建物に住んでる

複数の外国人達のタバコ、話し声、音楽

 

早く何もかもから逃れたい

 

そんな一心で、まだ決まってもないのに

2月中旬に従姉妹の家を見に行く迄の間に

 

できる限りのアルバイトをし

がんがんと断捨離をし

掃除を勧めていました

 

この「引っ越し案件」は

従姉妹と私の間だけで進行していました

 

私には近隣に住む

姉(嫁ぎ済み家持)

叔母(息子は独立済、叔父死去、家持)

がおり

 

普段は色々と話していましたが

この件だけは伏せていました

 

何故なら、多分反対されるとわかっていたからです

 

そして、その理由であった

「数年前私を鬱にした家族の事」

が案の定このタイミングで再発しました

 

 

遠方に住む父親が要介護4となり

万が一何かあれば

手術等はできないという連絡が

母と姉から入ったのです

 

 

この件に関しては

自分は以前

「もう関わる事はない」

と姉にも叔母にも話していました

 

私は鬱になった頃が一番稼ぎのピーク

だったこともあり先を見据えて

 

姉や母に

 

「今なら父母と一緒に

新しく家を借りるなどして住める

でもこの先自分が年を取ってから

介護をするために生活を

変えろといわれても無理だけど、どうする?」

 

と伝えていたのです。

 

その当時既に就活や介護問題は話題に

なっていたので、まだ父母にも自分

にも余力があるそのタイミングと思い

 

私なりに考え抜いて出した言葉でした

 

ところが母からは拒絶

叔母や姉からも

「そんな失礼な事をお母さんに言うなんて…

好きにさせてあげなさいよ」

 

というような始末でした

 

この辺りで私は鬱にもなっているのですが

 

同時に私は母から

「一緒に住む気はない」

と言われたので

 

言い方は悪いですが

「言質はとったな」

と肩の荷は降りた気持ちがしました

 

家庭問題についてはこの時に私の心の中では

「もう手を離していいんだな」

 

と区切りがつきました

 

↑とは言いつつその後も現在も進行形で

色々はあるのですがそれはまた別の機会に…

 

 

そして、2021年の2月になって

やはり父の様子が悪化

(といってももう80代も後半ですので

年相応のあれこれです)

 

正直、姉や母からそんな話が来た時は

「来るべき時が来たな」

という気持ちでしかなかったです

 

想定される次の事態もわかっていたので

私はそのまま従姉妹の家訪問に向けて

黙々とバイト、掃除、引っ越しに向けての準備等を

進めておりました