家族はちょっとずうずうしい他人である(3月初めの出来事その7)
翌日は朝から最悪の気持ちで起きました。
役所に転居届を出したり、銀行諸々手続きもありましたので朝食直後に叔母の家から出ました。
ただ、鬱の症状が出ていて、とにかく叔母と一緒に居たくないという事で電動自転車を借りて出発したものの、あれを忘れた、これを忘れたと何度も行っては戻りを繰り返していました。
叔母は心底あきれたという表情でしたが、私には自分の精神が正常でなくなっているのが分かっていましたし、叔母と一緒に居る時間が減る方がありがたかったので、気にしないように努めていました。
鬱やパニック症状が出ている時、私は基本的な日常の出来事が正しくできなくなります。
以前はそんな自分にイライラしてもっと鬱状態になり、ひどい時だと○んでしまいたい。消えてしまいたい等と極論まで落ち込む事がありました。
週5、8時間のお仕事を続けられなくなった後に、私は沢山の動画を見るようになり、HSPであったり、鬱やパニック症状についてかなり知識を知る機会に触れていました。
知識を得たことで、これまでの一方的に「自分が悪い」という思いには至らずに済んでは居ました。
ただ、同時にHSPの性質などから自分は「姉」や「叔母」のような人のそばにいる事はとても向いていない。むしろ苦痛を味わうだけだと痛感したのです。
コーヒーショップで時間を潰したりしつつ、叔母の家に嫌々もどり昼食をいただきました。
本当は叔母と食事をする事が苦痛でしたので、外食したかったのですが、叔母は私がコンビニで買い物をする事も、外食をする事も「お金がないって家を引き払うのにそんな…」といちいち小言を言います。
正直に言って、叔母は私を「可哀そうな人間」として扱うのでした。
私が本当に嫌だなと思う事の一つに「太ってるいじり」がありました。
叔母は昔から美意識が高く小柄でとてもこぎれいな人でした。
そのせいか人生を通して今のところ「ガリガリ」を経験していない私を何かと
「hitoriちゃんは太ってるから寒さを感じないと思った」
「太ってるんだからもっとご飯食べれるでしょう?」
等と無意識にdisってきます。
これは、65歳以上の叔父や叔母の大半が悪意のない冗談として日常的に私に投げかけていた言葉です。
「お前は親戚の中でもちょっとあれだよな…顔が違うんだよな」
等など…。私は人生において自分をかわいいとか美しいと思った事はほぼありません。
ただ、何かをしている時、人は自分がかっこよく見えるのではないか。かっこよくなりたい。それだけを目指して生きていました。
昼食もそんな感じで私が無意識のdisに精神的にやられてしまい。早々にあてがわれているお部屋に引き上げました。
もう、誰とも口を利きたくない。
そんな気持ちで1.2時間眠った後でした。
市の社会福祉協議会から借用しているお金の件で、お話があると電話連絡がありました。
コロナ渦で収入が減少した世帯にお金を貸してもらえる制度を利用し、それを機会にこの引越しをする事にした私ですが、引っ越しをしたらどういう手続きをするのか相談をしていたのでした。
「あなたの健康状態では借用として返済する事は困難な可能性があるので、借用ではなく、生活保護を申請してはどうでしょうか」
というのです。
つまり、市は私の鬱は治らないという判断なんですか?
病気がある人はコロナで収入が減ってもお金を貸す事はできないんですか?
何かそこまでは話をした気がするのですが、そこからは私はパニック発作というか涙がうわーっと出てきてもうお話ができる状態ではなくなり、電話口では担当の方が一方的に生活保護について説明をされていたと思われます。
最終的にはとにかく、市の生活保護相談窓口に来てほしいという事だったかと思いますが。
私の回答は一つでした。
「…申し訳ありませんが貴方とお話をするのが辛いので電話を切ります」
それだけお伝えして電話を切った後も、涙が止まらず喉は窒息しそうに苦しいままでした。
そうしている間にも、叔母がよかれと思って晩御飯の支度をしている匂いがしてきました。
私はもう今日は何もできないなと思い。ぼろぼろと泣き続けながら叔母のところに行きました。
叔母は涙が止まらず、嗚咽交じりでしか喋れない私を見て心底びっくりしていました。
市の職員からの連絡でパニック症状が出てしまった事、食事も何もいらない事、会社などでパニック症状になり働けないというのは今のような状態である事を泣きながらも何とかお伝えをしました。
叔母はとにかくびっくりしていましたが、その後はそっとしておいてくれました。
多分私が「心の病気である」事を初めて実感したのだと思います。
翌日、私の出発となりました。
正直もうすぐにでも出ていきたかったので、早めに出発する事を決めました。
叔母は餞別だと言って数万円を私にくれました。
最後に言われたのは
「もっと早く色々相談してくれたらよかったのに」
でした。
叔母は本当に良い人です。
しっかりしているし、誰がみてもちゃんとしている人だと思います。
ただ、あまり、人の気持ちに敏感ではないというか
「関わっても得しないことは考えない」
という割り切りがすんなりできる人です。
私は、そういう風には生きれないし、この先側にいるのもしんどいです。
こうして、私はようやく勝手に自分が陥っていた
「親族のそばに暮らしている方が安心」
を打開しました。
余談ですが、姉は持ち家で部屋を1つ余らせています(物置みたいになっていますが)
叔母は、持ち家で一人暮らしで3つの部屋を余らせています。
私が従妹と暮らすと言った時に
「じゃあうちに来ればいいのに」
と言った人は一人もいません。
ちなみに、過去に私からは提案したこともありますが答えはNOでした。
本当に自分を心配したり理解している人の方が、たとえ血縁が遠くても、ちゃんと手を差し伸べてくれるんだとも分かりました。
今は、叔母とも姉ともLINE上で時々話をする程度です。
でも、よく考えたら、今までだってそんなもんだったとも言えます。
家族はちょっとずうずうしい他人だ。
それくらいに考えて距離や礼節をもって生きていく方が
よっぽど楽だと実感しました。
これからは、前向きに生きていくためにどうやって生活を整えていくか、まずは病院にきちんと通って治せるところを治して頑張っていきたいと思います。
ここまで読んでくださりありがとう!
未熟でつたない文章ですが
同じような経験をしている方が少しでも参考にしてくだされば幸いです。