45から何ができる

45から何ができるか

家族はちょっとずうずうしい他人である(3月初めの出来事その5)

お話が長くなったのでタイトルを変えましたが前回の続きとなっております。

 

皆様はいつ頃ご自身の父母の介護について意識をされていたでしょうか?

 

ちなみに私は、小学生から意識をさせられていました。

 

 

私は母が40代で産んだ子供で、4人目の女です。

しかも、私とすぐ上の姉(この姉は父母と縁を切り現在一人でしっかりと暮らしています)の間だけ6年年が離れています。

 

私が10歳になる頃には上の兄や姉は

高校生以上となっていた為よくわからないのですが

 

「あんたが最後に生まれたんだから親の介護はあんたがするんだよ」

 

と言われていました。

 

私もそういうもんなのかなぁと漠然とは刷り込まれて、素直にそう思っていました。

でも、その割にはいつも家族の大事な決め事では

「お前は聞かなくていい」

と言われる事も多く、かやの外にやられていました。

 

その頃の私は

「将来親の面倒を見るのは私なんだな」といううっすらとした刷り込みだけは持ちながら、のほほんと自分の進路を考えていたと思います。

 

 

私の高校卒業と共に父が定年で鬱になり、

思い描いていた20代ではなくなってしまいまいした。

 

それでも、楽しい事もたくさんあった時代でしたので、自分の学びの時間だったとも思います。

 

ただし、年々家族とは一緒に暮らせない状態となり、20代後半から独り暮らしを始める事となりました。

 

この独り暮らしの時間が、今の自分自身の考えに至れる自分になったと自負しています。

 

だからこそ、派遣社員でもそれなりの高額のお給料をもらえていたあの時期に

 

「今なら親孝行できそう」

 

と思い、色々と親にアプローチをしました。

 

そこで、もう自分の手には負えないだろうなという親の介護の現実を知ってしまったのです。

 

そして「今しかない」と親や姉、親族を説得する私に、彼らは

「それは(末っ子の)貴方が考える事じゃないし、親を馬鹿にしてる」

というような感じで止められました。

 

私はその時に

「では私は、今後同居して介護をするとか考慮せずに生きるけどいいね?」

 

と念を押したのでした。

 

 

そんな過去を経て、私は今年の3月、自分の引っ越し作業日に

 

「お母さんが一緒に住んであげないと」

 

と言っていたよという事を言われました。

 

「お母さんの面倒をみないの?」とは聞いてきません。

 

母はほぼ専業主婦で、晩年パートに出ていましたが

基本的に現在の暮らしは父親の年金が主な財源です。

 

私は一度、別の叔父と共に母が散らかし放題にしていた実家を整理し、書類や家計をある程度把握したことがあります。

 

その時に恐怖を覚えたのが、父が亡くなったら母の年金で一人で暮らせるのかという事でした。

 

そこも踏まえて、親族に親の今後を相談していたのですが、私の心配はことごとく

「余計なお世話」

「今話すことじゃない」

とされて、一蹴されました。

 

私としては自分のがんばりが認められなかった、考えを理解してもらえなかった悔しさもありましたが、私の領分ではないとはっきり言われ、もう、親や家族を基準に生き方を決めなくてもいいんだなと思いました。

 

「私は自分の病気を治して、長く働けるための準備をしているのでとてもじゃないけど母と暮らす事なんて考えていない」

 

そうきっぱりとこの食事会で姉と叔母に告げられたのは、これまでの長い積み重ねのおかげだったとも思います。

 

…まだまだ続いたりします…